2009/3/20(金)に実施された館山海軍航空隊赤山地下壕の見学のレポートをご紹介します。
このレポートは、見学に参加した立花組戦争遺跡班所属の2年の大学院生によるものです。
また、同じ見学会に参加された立教セカンドステージ大学の学生さんによるレポートもこちらにありますので、あわせてご参照ください。→こちら
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館山の戦争遺跡を見学してきました。
後述するNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢氏と偶然出会い、いろいろ資料をいただきました。
日時:3月20日(金)春分の日(曇り・小雨) 正午現地集合~19時現地解散
参加者:6名
見学コース:
米占領軍初上陸地点~館山海軍航空隊赤山地下壕~戦闘機用掩体壕~かにた婦人のむら・従軍慰安婦碑~本土決戦抵抗拠点128高地"戦闘指揮所"・"作戦室"地下壕~小高資料館(現NPO事務所)
館山は関東大震災で最も隆起が激しく98%の家屋が倒壊したところで、その後海岸線が前進。
昭和初期、すぐ先の沖合にあった小島までの埋め立てを行い、空母を想定して強い西風に向かった短距離の滑走路を持つ館山海軍航空隊をここに開設している。
館山の地形は平野が少なく、小高い山が海岸に迫っていて、真珠湾の地形に似ているといわれ、開戦前には背後の山から低空で航空隊基地を敵地に見立てて激しい訓練を重ねたところである。
敗戦後は厚木に先駆けた米軍の上陸地点で、4日間軍政が布かれたらしい(米軍は否定)。上陸地点は航空隊の滑走路(海岸すぐそば)である。
赤山地下壕は現在市の管理で公開されており、東京からバスを仕立てた30名ほどの戦争遺跡見学グループも来ていた。他にも個別に見学者がいたりとなかなか盛況だ。常時2人の受付がいる。
壕の掘削時期は明らかではないが、基地南端からは5分程度の距離にあり、司令部・医療施設・兵器・燃料貯蔵所などの待避壕として掘られたらしい。つるはしの跡が生々しく残っているが壕の断面は大きく(高さ2.5mほど)、延長距離も約2kmある。
見学の順序では後になるが、「正式」な戦闘指揮所(壕)は更に20分ほど南に行った一二八高地にあり、こちらの空間も大きく、壁天井はコンクリートできれいに均され、通路から別れた房の入り口には今でも「戦闘指揮所」「作戦室」の看板がレリーフとして揮毫の書家の名前も鮮やかに残っている。また3mほどの高さの通路の天井には見事な龍のレリーフもあり、戦争真っ只中での「余裕」まで感じさせる。将官クラスに趣味人がいたのであろうか。
戦闘機用掩体壕は畑の中にあり、現在は農家の倉庫代わりに使用されているが思ったより小さいものだ。
従軍慰安婦碑は一二八高地頂上付近にあり、前述の戦闘指揮所の上にあたる。この高地は「かにた婦人のむら」の所有地で、(断りを入れたが建物内に人影がなかったため)無断でうろうろしているところをNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢氏と出会って、このむらの経緯や館山の歴史・文化全般のお話しとともに、教会、碑、戦闘指揮所(壕)の個別案内をしていただいた。
このむらは売春禁止法後の女性たちの厚生施設として、世界中からの募金で、払い下げられた国有地に自立した生活が送れる施設を建設して開設され、現在も自活生活が営まれている。その中に元慰安婦だったと名乗りを上げた女性(既に故人)がいて、支援者などの手で存命中に元従軍慰安婦のための碑が建てられるにいたっている。
敷地内にある教会はこぢんまりとした作りだが、山道と同様すべてがここにいる女性たちの手で建設されたという。祭壇の下にある地下室にはここで亡くなって引き取り手のいない女性たちの遺骨や、生涯をこの女性たちのために捧げた深津文雄牧師の霊が祭られている。この施設には某大女優の母君も蔭で支援されたとのことであった。
その後、愛沢さんのご厚意でNPO事務所まで案内していただき、活動の内容や館山のことをいろいろ伺った。事務所は館山出身の政治家小高熹郎(おだかしろう)が使用していた大正期の2階建て木造の建物で、旧古川銀行(現千葉銀行)鴨川支店が統廃合時に不要になって移築したもの。大きな金庫も付いている。
該NPOの活動は戦争遺跡の紹介のみに止まらず、中世の南総里見家の歴史から、各地に縁のある文化人の発掘など幅広く、館山のまちづくりに大きく貢献している。その一端は立花先生宛にと寄贈していただいた資料の目録でご推察下さい。
今回は図らずも愛沢さんと出会い、館山の講義を受けながら見学することができ、地理・歴史・文化的な知識として大きな収穫を得ることができた。同NPOはボランティアとして館山を案内をされているので、行かれる方は事前に連絡を取ることをおすすめします(資料付きで一人1,500円)。その場合午前中に講義をして午後現地見学となるので前日より乗り込む方がいいでしょう。近くには温泉もあります。
頂いた資料
「あわ・がいど1 戦争遺跡」(戦争関連施設の解説)
「あわ・がいど2 房総里実氏」(里見八犬伝で有名な里実氏の歴史と各地の城跡案内)
「あわ・がいど3 海とともに生きるまち」(館山の歴史的人物や施設をウォーキングを通して楽しみながら案内)
「あわ・がいど4 安房古道を歩く」(千葉県南部の古道めぐりと各地の歴史的遺跡案内)
「小谷源之助 太平洋にかかる橋~アワビがむすぶ南房総・モントレー民間交流史」
(およそ100年前にモントレーに行ってアワビ取りの事業を興し、成功した人)
「足もとの地域から世界を見る 授業づくりから地域づくりへ」愛沢伸雄論文集
(元高校教師だった愛沢氏の様々な機関誌等に出稿した論文集)
「第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会報告集」2004年8月
その他に地図など
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2009年6月26日金曜日
2009年6月10日水曜日
2008年度後期活動リスト
立花組戦争遺跡研究班の2008年度後期の活動内容の一覧をご紹介します。
各内容について、レポート・報告書のあるものについては、準備が整い次第、個別に内容をアップして、記録を残していきます。
また、今後の活動については、その都度、早めにアップしていく予定です。
2008/12/7 公開講演会
2008/12/9 長谷川順一さんのゲストスピーチ
2008/12/14 靖国神社と遊就館見学
2009/1/11 浅川地下壕
2009/1/24 日吉地下壕
2009/3/20 館山海軍航空隊赤山地下壕
見学レポートはこちら
各内容について、レポート・報告書のあるものについては、準備が整い次第、個別に内容をアップして、記録を残していきます。
また、今後の活動については、その都度、早めにアップしていく予定です。
2008/12/7 公開講演会
2008/12/9 長谷川順一さんのゲストスピーチ
2008/12/14 靖国神社と遊就館見学
2009/1/11 浅川地下壕
2009/1/24 日吉地下壕
2009/3/20 館山海軍航空隊赤山地下壕
見学レポートはこちら
2009年6月5日金曜日
はじめまして
立教立花ゼミ戦争遺跡班M1のK.Miuです。
研究班のブログ管理担当を務めます。
この投稿は、個人として投稿するのに使うアカウントのテストを兼ねています。
研究班全体としての発信情報や、合同でのフィールドワークのレポートは、研究班としての投稿を行い、研究班の個人個人からの情報発信は、個人のアカウントから投稿するようにします。
投稿するためには、Googleアカウント(無料)を作る必要があります。
Googleアカウントができたら、そのメールアドレス宛に招待メールを送信し、承諾の手続きをしてもらうことで、個人としてもこのブログに投稿が可能になります。
この形であれば、研究班の各メンバーも比較的自由に書き込みができますね。
研究班のブログ管理担当を務めます。
この投稿は、個人として投稿するのに使うアカウントのテストを兼ねています。
研究班全体としての発信情報や、合同でのフィールドワークのレポートは、研究班としての投稿を行い、研究班の個人個人からの情報発信は、個人のアカウントから投稿するようにします。
投稿するためには、Googleアカウント(無料)を作る必要があります。
Googleアカウントができたら、そのメールアドレス宛に招待メールを送信し、承諾の手続きをしてもらうことで、個人としてもこのブログに投稿が可能になります。
この形であれば、研究班の各メンバーも比較的自由に書き込みができますね。
2009年6月4日木曜日
はじめに
このブログは、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科「立花ゼミ」所属の大学院生による「戦争遺跡研究班」の情報発信ページです。
研究の主旨は、以下の通りです。
戦争遺跡と戦争資料は、1.近代史研究・戦争遺跡考古学研究の資料、2.歴史教育や生涯学習の教材、3.平和学習の物証、語り部であると考えます。
そして、その研究の目的は、以下の通りです。
・戦争を身近に追体験することによって、戦争認識を深めさせる
・埋もれている戦争遺跡を掘り起こし、正しい歴史認識に迫る
・戦争遺跡から学んだことを語り合うことによって、戦争認識を深める
・平和を創造する道につながる、平和のメッセージを発信する
・戦争の歴史を学び、平和の大切さを考えたい
・戦争の時代を繰り返すことないように、戦争遺跡から学び、戦争の実態を知らせたい
研究班は、不定期に、全国各地の戦争遺跡や、それに関する物品を保存する資料館等を訪問し、その存在意義や、課題について検討し、このページにレポートをあげることで、世の中にメッセージを発信していきます。
それに先立って、まずは戦争遺跡についての簡単な定義と、世の中での戦争遺跡の保存運動、研究の状況を簡単にご紹介いたします。
<戦争遺跡の定義>
戦争遺跡(戦跡)とは、「近代日本の侵略戦争とその遂行過程で、戦闘や事件の加害・被害・反戦抵抗に関わって国内国外で形成され、かつ現在に残された構造物・遺構や跡地のこと」
※戦争遺跡保存全国ネットワーク編著『日本の戦争遺跡』から
War-Related-Sites、戦争関連の遺跡
日本の戦争遺跡とは、近代軍制が始まった明治初期から昭和前期のアジア太平洋戦争の終結までが時代の範囲である。さらに考古学的な遺跡以外に、地上文化財・建築物・土木構造物や歴史上の跡地までを含め、広く戦争遺跡と称する。
1894(明治27)~95年 日清戦争
1904(明治37)~05年 日露戦争
1914(大正3)~18年 第一次世界大戦
1931(昭和6)年 満州事変勃発、15年戦争へ
1937年 中国との全面戦争
1941年 アジア太平洋戦争開戦
1945年8月14日 御前会議でポツダム宣言受諾決議
1945年8月15日 終戦
<文化財としての戦争遺跡>
文化庁の近代遺跡区分:第九分野 政治、軍事に関する遺跡
指定文化財・登録文化財となった戦争遺跡は96件
<戦跡保存運動の歩み>
1960年代 原爆ドームの保存運動、戦時体験記記録運動(全国に広がる)
1977年 沖縄を考える会結成、5月「沖縄戦戦争遺跡・遺物の保存」を要請
1990年 「南風原陸軍病院」を戦争文化財として(町条例で)保護
1992年 1フィート運動会、「第32軍司令部壕の保存」を那覇市に要請
1994年 沖縄平和ネットワーク、「糸数壕の保存整備」を玉城村に要請
1995年 沖縄平和ネットワーク、「戦争遺跡・遺物の保存と活用」を沖縄県に要請
1997年 〃、「戦争遺跡保存と平和教育活用のための具体的調査決議」を県教育長へ送付
1997年7月 松代で「戦争遺跡保存全国ネットワーク」結成(22団体、100人余り)
研究の主旨は、以下の通りです。
戦争遺跡と戦争資料は、1.近代史研究・戦争遺跡考古学研究の資料、2.歴史教育や生涯学習の教材、3.平和学習の物証、語り部であると考えます。
そして、その研究の目的は、以下の通りです。
・戦争を身近に追体験することによって、戦争認識を深めさせる
・埋もれている戦争遺跡を掘り起こし、正しい歴史認識に迫る
・戦争遺跡から学んだことを語り合うことによって、戦争認識を深める
・平和を創造する道につながる、平和のメッセージを発信する
・戦争の歴史を学び、平和の大切さを考えたい
・戦争の時代を繰り返すことないように、戦争遺跡から学び、戦争の実態を知らせたい
研究班は、不定期に、全国各地の戦争遺跡や、それに関する物品を保存する資料館等を訪問し、その存在意義や、課題について検討し、このページにレポートをあげることで、世の中にメッセージを発信していきます。
それに先立って、まずは戦争遺跡についての簡単な定義と、世の中での戦争遺跡の保存運動、研究の状況を簡単にご紹介いたします。
<戦争遺跡の定義>
戦争遺跡(戦跡)とは、「近代日本の侵略戦争とその遂行過程で、戦闘や事件の加害・被害・反戦抵抗に関わって国内国外で形成され、かつ現在に残された構造物・遺構や跡地のこと」
※戦争遺跡保存全国ネットワーク編著『日本の戦争遺跡』から
War-Related-Sites、戦争関連の遺跡
日本の戦争遺跡とは、近代軍制が始まった明治初期から昭和前期のアジア太平洋戦争の終結までが時代の範囲である。さらに考古学的な遺跡以外に、地上文化財・建築物・土木構造物や歴史上の跡地までを含め、広く戦争遺跡と称する。
1894(明治27)~95年 日清戦争
1904(明治37)~05年 日露戦争
1914(大正3)~18年 第一次世界大戦
1931(昭和6)年 満州事変勃発、15年戦争へ
1937年 中国との全面戦争
1941年 アジア太平洋戦争開戦
1945年8月14日 御前会議でポツダム宣言受諾決議
1945年8月15日 終戦
<文化財としての戦争遺跡>
文化庁の近代遺跡区分:第九分野 政治、軍事に関する遺跡
指定文化財・登録文化財となった戦争遺跡は96件
<戦跡保存運動の歩み>
1960年代 原爆ドームの保存運動、戦時体験記記録運動(全国に広がる)
1977年 沖縄を考える会結成、5月「沖縄戦戦争遺跡・遺物の保存」を要請
1990年 「南風原陸軍病院」を戦争文化財として(町条例で)保護
1992年 1フィート運動会、「第32軍司令部壕の保存」を那覇市に要請
1994年 沖縄平和ネットワーク、「糸数壕の保存整備」を玉城村に要請
1995年 沖縄平和ネットワーク、「戦争遺跡・遺物の保存と活用」を沖縄県に要請
1997年 〃、「戦争遺跡保存と平和教育活用のための具体的調査決議」を県教育長へ送付
1997年7月 松代で「戦争遺跡保存全国ネットワーク」結成(22団体、100人余り)
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