2009年6月26日金曜日

館山海軍航空隊赤山地下壕(2009/3/20)

 2009/3/20(金)に実施された館山海軍航空隊赤山地下壕の見学のレポートをご紹介します。

 このレポートは、見学に参加した立花組戦争遺跡班所属の2年の大学院生によるものです。
 また、同じ見学会に参加された立教セカンドステージ大学の学生さんによるレポートもこちらにありますので、あわせてご参照ください。→こちら

----------------------------------------------------
 館山の戦争遺跡を見学してきました。
 後述するNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢氏と偶然出会い、いろいろ資料をいただきました。

日時:3月20日(金)春分の日(曇り・小雨) 正午現地集合~19時現地解散
参加者:6名
見学コース:
米占領軍初上陸地点~館山海軍航空隊赤山地下壕~戦闘機用掩体壕~かにた婦人のむら・従軍慰安婦碑~本土決戦抵抗拠点128高地"戦闘指揮所"・"作戦室"地下壕~小高資料館(現NPO事務所)



 館山は関東大震災で最も隆起が激しく98%の家屋が倒壊したところで、その後海岸線が前進。
昭和初期、すぐ先の沖合にあった小島までの埋め立てを行い、空母を想定して強い西風に向かった短距離の滑走路を持つ館山海軍航空隊をここに開設している。
 館山の地形は平野が少なく、小高い山が海岸に迫っていて、真珠湾の地形に似ているといわれ、開戦前には背後の山から低空で航空隊基地を敵地に見立てて激しい訓練を重ねたところである。

 敗戦後は厚木に先駆けた米軍の上陸地点で、4日間軍政が布かれたらしい(米軍は否定)。上陸地点は航空隊の滑走路(海岸すぐそば)である。

 赤山地下壕は現在市の管理で公開されており、東京からバスを仕立てた30名ほどの戦争遺跡見学グループも来ていた。他にも個別に見学者がいたりとなかなか盛況だ。常時2人の受付がいる。

 壕の掘削時期は明らかではないが、基地南端からは5分程度の距離にあり、司令部・医療施設・兵器・燃料貯蔵所などの待避壕として掘られたらしい。つるはしの跡が生々しく残っているが壕の断面は大きく(高さ2.5mほど)、延長距離も約2kmある。

 見学の順序では後になるが、「正式」な戦闘指揮所(壕)は更に20分ほど南に行った一二八高地にあり、こちらの空間も大きく、壁天井はコンクリートできれいに均され、通路から別れた房の入り口には今でも「戦闘指揮所」「作戦室」の看板がレリーフとして揮毫の書家の名前も鮮やかに残っている。また3mほどの高さの通路の天井には見事な龍のレリーフもあり、戦争真っ只中での「余裕」まで感じさせる。将官クラスに趣味人がいたのであろうか。

 戦闘機用掩体壕は畑の中にあり、現在は農家の倉庫代わりに使用されているが思ったより小さいものだ。
従軍慰安婦碑は一二八高地頂上付近にあり、前述の戦闘指揮所の上にあたる。この高地は「かにた婦人のむら」の所有地で、(断りを入れたが建物内に人影がなかったため)無断でうろうろしているところをNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢氏と出会って、このむらの経緯や館山の歴史・文化全般のお話しとともに、教会、碑、戦闘指揮所(壕)の個別案内をしていただいた。

 このむらは売春禁止法後の女性たちの厚生施設として、世界中からの募金で、払い下げられた国有地に自立した生活が送れる施設を建設して開設され、現在も自活生活が営まれている。その中に元慰安婦だったと名乗りを上げた女性(既に故人)がいて、支援者などの手で存命中に元従軍慰安婦のための碑が建てられるにいたっている。

 敷地内にある教会はこぢんまりとした作りだが、山道と同様すべてがここにいる女性たちの手で建設されたという。祭壇の下にある地下室にはここで亡くなって引き取り手のいない女性たちの遺骨や、生涯をこの女性たちのために捧げた深津文雄牧師の霊が祭られている。この施設には某大女優の母君も蔭で支援されたとのことであった。

 その後、愛沢さんのご厚意でNPO事務所まで案内していただき、活動の内容や館山のことをいろいろ伺った。事務所は館山出身の政治家小高熹郎(おだかしろう)が使用していた大正期の2階建て木造の建物で、旧古川銀行(現千葉銀行)鴨川支店が統廃合時に不要になって移築したもの。大きな金庫も付いている。

 該NPOの活動は戦争遺跡の紹介のみに止まらず、中世の南総里見家の歴史から、各地に縁のある文化人の発掘など幅広く、館山のまちづくりに大きく貢献している。その一端は立花先生宛にと寄贈していただいた資料の目録でご推察下さい。

 今回は図らずも愛沢さんと出会い、館山の講義を受けながら見学することができ、地理・歴史・文化的な知識として大きな収穫を得ることができた。同NPOはボランティアとして館山を案内をされているので、行かれる方は事前に連絡を取ることをおすすめします(資料付きで一人1,500円)。その場合午前中に講義をして午後現地見学となるので前日より乗り込む方がいいでしょう。近くには温泉もあります。

頂いた資料
「あわ・がいど1 戦争遺跡」(戦争関連施設の解説)
「あわ・がいど2 房総里実氏」(里見八犬伝で有名な里実氏の歴史と各地の城跡案内)
「あわ・がいど3 海とともに生きるまち」(館山の歴史的人物や施設をウォーキングを通して楽しみながら案内)
「あわ・がいど4 安房古道を歩く」(千葉県南部の古道めぐりと各地の歴史的遺跡案内)
「小谷源之助 太平洋にかかる橋~アワビがむすぶ南房総・モントレー民間交流史」
(およそ100年前にモントレーに行ってアワビ取りの事業を興し、成功した人)
「足もとの地域から世界を見る 授業づくりから地域づくりへ」愛沢伸雄論文集
(元高校教師だった愛沢氏の様々な機関誌等に出稿した論文集)
「第8回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会報告集」2004年8月
その他に地図など
----------------------------------------------------

0 件のコメント:

コメントを投稿